平間わんぱく少年団に
遊びに来てください
平間わんぱく少年団 代表
山本 忠利
平間わんぱく少年団は47年前に生まれました。
子どもたちが色々な体験ができる居場所がほしいという、
当時の学童保育を終った子供の親たちの願いから生まれたものです。
和太鼓は、はじめの頃は〝いろいろ体験〟の一つでしたが、
3年目ごろから〝和太鼓の少年団〟になり、それからずっと今まで続いています。
続いている理由は、和太鼓をとおしてたくさんの仲間がつくれること、
力いっぱい太鼓を叩きエネルギーを発散できること、
そして何より演奏を見てもらうことで子供たちが達成感を体験出来ることが魅力だと思います。
親しくなったお友達とキャンプをしたり、お祭りに中の太鼓を習いに行ったりということもするようになり、
ますます仲の良い集団になっていきました。
少年団の叩く太鼓は、日本の各地のお祭りの中で生まれ、伝えられてきた太鼓です。
地元川崎では盆踊りも少なくなり、地域のお祭りも小さくなって、お神輿を担ぐ機会もなくなりました。
でも、お祭りの中で太鼓を叩いたり、踊ったり、屋台で買い物をして仲間どうし会話を楽しみたいのは、
きっと今でも同じだと思います。
そういう子供たちの希望にこたえられる少年団にしようと、父母たちも一生懸命ホローしてくれています。
和太鼓をやっていると、いろいろなところから声がかかります。
これまでにもいろいろなところで演奏してきました。
川崎市民祭りでも、幸区や中原区の区民祭りでも演奏しましたし、
地元平間商店街の8月の縁日ではもう35年間も毎年出演させていただいています。
老人施設の慰問、保育園での公演では地域の住民も含めて楽しんでくれます。
演奏する演目も和太鼓だけでなく、日本のお祭りで踊る民舞という踊りや、
「平間わんぱく少年団の歌」という歌も創ってもらいました。
手影絵を体験したり、子供たちで作るミニミュージカルを舞台で上演したこともあります。
そして海外公演まで実現してしまいました。台湾宜欄市に少年団だけで演奏旅行をしましたし、
韓国の済州島には、和太鼓の演奏だけでなく、韓国の民話「さんねん峠」をミュージカルにして
和太鼓と一緒に上演し、交流しに行きました。
コロナで上演の機会がなくなり、メンバーも少なくなってしまいましたが、
もう一度最盛期のようにたくさんの子供たちが集まって、にぎやかに、
楽しくワイワイ笑いながら太鼓を叩き、踊ったり歌ったりする集団にしたいと思います。
機会があったらぜひ遊びに来てください。

